それにしても9月は忙しかった。精神的にしんどいこともたくさんあった。日常のことに、大きく時間を割かないと毎日がこなしていけなかった。日記がほぼ1ヶ月書けなかった。
非日常的な時間がある程度過ぎると、社会は「いつもの日常」へ強引に戻そうとする。大問題が解決していなくても。私も、否が応でも、迫り来る「日常」、特に仕事と向き合わねばならなかった。こうして、原子力発電に関する問題提起も、音楽に関する想いも、その他書いておきたい大事なことも、書く時間を奪われてしまう。大問題をスルーしたい人たちには思うつぼだ。
でも負けない。死ぬまで原子力発電にこだわり続けると決めたのだ。あの、本気で「死ぬかもしれない」と思ったし、その可能性があったことが今や明らかになっている、震災直後の2週間ほどを忘れてはいけない。
何から始めようか。まずはふたつ。
▼9月19日の東京で行われた「さようなら原発5万人集会」のことが、本当にささやかにしか報道されなかったこと。テレビ局によっては、インパクトのあるニュースの間にそっとはさみこんで、集会の印象を薄めようとしているようにさえみえた。仕事で行けなくてくやしかったこの日のことを知ろうと思っても、テレビも新聞も全く役に立たない。主催者発表6万人参加の重大な市民行動を、ここまでシカトしていいのだろうか。
大江健三郎氏や、俳優の山本太郎氏のメッセージなども、ネットメディアに頼るしかない(例外は東京/中日新聞!)。メディアの何を報道するかの「優先順位」感覚が壊れてしまっているように感じた。
▼鉢呂・前経済産業相が辞任したこと。テレビや新聞のバッシングは異様に思えた。実は、福島第1原子力発電所周辺の人がいなくなった地域を「死の街」と呼んだ政府高官もいれば、この表現を記事等に使ったメディアも少なくない。なのになぜ、鉢呂氏だけ、ここまで責められるのか。それに、本来は「死の街」にした人たちへこそ、批判のエネルギーを向けるのが本質的なのではないだろうか。
もちろん、「放射能をなんたらかんたら」発言もある。だが、これも怪しくて、「なんたらかんたら」のところが、テレビ・新聞によって全部違うのだ。つまり発言を特定できていない、と言うことだ。その発言の前に、ひとりの記者が、鉢呂氏を挑発するような言葉を投げかけた事実もある。だから許されるとまでは言わないが、少なくとも、辞めるに値するかどうかは疑わしい。
鉢呂氏が「最終的に原発をゼロにする」宣言をし、脱原発派も入れた委員会を作ろうとしたために下ろされたと考えても、妄想と切り捨てられない、メディアのやり方だ。
まだ書きたいことはあるけれど、とりあえず日記を再開できて、ホッとしている。無理のないペースで、ライフワークとなった、脱原発を記していきたい。
2011年09月26日
「思うつぼ」にならいように日記再開!
posted by さとる at 21:21| 原子力発電