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2011年08月20日

放射性物質と生きることと、庶民感覚

 ここ2週間ほどは、「夏バテ」というのか、体調が優れず、時間ができても、なかなか日記を書く気力がおきなかった。書きたいことはたくさんあるのだけれど、パソコンにワープロソフトを立ち上げる気力が起きない。

 それでも、原子力発電のことは、死ぬまで書き続ける、と決意したので、まずそこから再開するぞ、と。


 8月19日に、茨城県で栽培された早場米(玄米)から、放射性セシウムが検出された。52ベクレル/キログラム……国の暫定規制値の500ベクレル/キログラムからはだいぶ低い。

 しかし、国が決めた規制値に実は明確な根拠はない。基本は、放射性物質はなければないほどいいのであって、ある量以下だったら「絶対安全」という線引きは、世界中のどの科学者も証明できていないのだ。もともと自然にけっこう放射線が飛び交っているではないか、という反論もあるが、それがそもそも人間のガン発生の引き金になっているという説もある。

 8月18日には、神奈川県川崎市の市営プール近くの落ち葉から12400ベクレル/キログラムの放射性セシウムが検出され、翌日からプールは利用中止になった。


 こうしたことは、福島県内では、すでに各地で起っていることなのだけれど、実は首都圏にも拡がっているってことだよね。そして、日本全体に汚染が拡がっていくことは間違いがない。

 つまり、私たちは、放射性物質が含まれている空気を吸い、放射性物質が含まれている飲食物を口にし、放射性物質が含まれている土の上で生活していかなければならない、という厳然たる「事実」と向き合わねばならなくなった。さらに、放射性物質はこの先何十年、何百年となくならない(除染はできても、除染した放射性物質はどこかへ隔離保存しなければならない)。「こわい」けれど、どこまで自分の、また大事な人の「いのち」を護れるか、死ぬまで闘いになる。


 原子力発電で儲けたいという人だけでなく、一般の人でも、大上段に構えて、日本の経済は……と論じ、原子力発電がないと、経済が停滞し世界に負ける、などと説明する。しかし、庶民感覚では、やはり原子力発電はこわい。

 「原子力発電を停めろと言うのは、交通事故が0になるまで自動車を走らせるな、と言うのと同じだ」とある知識人が語っていた。「事故」の影響力が地球規模な原子力発電を、交通事故と一緒にできるのか……き弁だ。庶民感覚では、やはり原子力発電の事故はこわい。


 歴史は「庶民感覚」が正しかった例のほうが多いと教えてくれる。「こわい」ことを原点に、なぜ考え直せないのだろうか。

 何度同じことを書くのだろう(何度でも書くけど)。原子力発電なしで私たちの生活を維持していくこと(経済!)は、知恵を合わせればできる。しかし、もういちど事故が起れば、日本全体に人が住めなくなる。そこから考えていきたい。



posted by さとる at 12:22| 原子力発電