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2011年05月30日

大野靖之、強く強く歌う

 それにしても東京渋谷の街と人ごみは好きになれない。長くいると窒息しそうになる。だから、ライブ前と後は、ライブ会場と駅を小走り。ホッとできるのはライブ会場の中だけだ。

 そして相変わらず、大野靖之のライブは、心を癒してくれる。一青窈ライブの日記でも書いた通り、自分は声質、輪郭のある明瞭な発音、わかりやすいメロディ……がアーティストを好きになる要素なので、やはり大野靖之が16曲も歌えば、満足感は満点(28日土曜日)。


 ※大野靖之……2005年7月シングル「心のノート」でデビュー。500校を超える学校で「授業」としてのライブを行い続けている。1982年4月生。今年4月に開校した、千葉県立我孫子東高校の校歌も作詞・作曲した(ライブでも披露)。自分は、2005年に、インストアライブ(この時は少人数で、終了後、直接本人とたっぷり話ができた)に行き、声と曲調が尾崎豊の再来かと感じ、それ以来ファンを続ける。公式サイトはこちら、所属するレーベルU-CANのサイトはこちら、本人ブログはこちら


 今回、選曲がすごかった。ヒット曲とファンに人気のある曲が中心。そしてどれも力強いアレンジ。エネルギーがはんぱなく届く。バラードでさえ、ひとつひとつの言葉に、力み過ぎのぎりぎり手前まで、想いがこもっている。気合いが違っていたのは、大震災のために、3月19日のライブ予定が、5月28日に変わったからか。

 ライブに「ヒリヒリ」が加わっていなかったことがうれしかった。実は「ヒリヒリ」は、プロダクション側がしかけた大野靖之ヒット曲作り戦略により、唯一他人(コモリタミノル)が作詞・作曲したシングル曲。発売以来、この曲だけはバックバンドの演奏ではなくカラオケで歌うし、大野靖之の世界と微妙にズレるし、ライブの流れをそいじゃうよな〜と思っていたので、ライブをひとつのまとまったパフォーマンスとして久々に体感できた。

 ※シンガーソングライターの人気を上げるために、有名な作家の曲を歌って、それから自作に戻る、という戦略がある。代表的なのは渡辺美里。小室哲哉の「My Revolution」を歌って大ヒットさせて、音楽界に自分の位置をゲットした。渡辺美里も最初は抵抗したという。大野靖之の場合は、曲のヒット性が低く(手抜きされた?)、自作シングルよりヒットせず、失敗。


 それぞれの曲の世界を、今の大野靖之が改めて確認し、そこに込められた感情をあますところなく表現する、そんな歌い方だった。MCでも、感情をためるとよくない、信頼する人にしか言えないような場合でも、とにかく感情を大事にして表現しよう、と訴えていた。人と出会う、今こんな場所にいる、恋をしている……そんな「わくわく感」と「夢」を持とう、とも呼びかけた。

 ふと思う。彼が言うように「感情」っていろいろあるよね。大野靖之は必ず「希望」あるいは「愛」がある歌を作り続けてきた。どうしようもない落ち込み、とか、果てしない怒りとか、恨みたくなるようなくやしさ……ってなかったのだろうか。初期の作品には「怒り」が含まれているものもある。しかし最近は、周囲に「ラブソング」を作ってヒットさせろ、と言われ続けたせいか、迷いや哀しみを歌っても、どこか「さらり」としていて「情念」には至っていない。

 母親を18歳で亡くして、大人としての「恩返し」が、友だちたちのようにできないのが残念だ、と彼は語っていた。しかし、それでもなお彼は家族に恵まれてきた。自分が戻れる「場所」であり続けた。学校も「楽しいところ」だった。彼の原点である尾崎豊を歌っている時も、尾崎の学校への「恨み」は共有せずに歌っていた。どうしようもない「爆発的感情」を、大野靖之こそ、歌にしてみてほしい。


 とは言え、これだけの表現力を持ったシンガーを、世間はいつまで放っておくのだろう。会場と一緒に歌える歌が書けるシンガーソングライターが少なくなってきた今、文句をつけつつ、結局は期待してしまう身勝手なファンなのだった。
posted by さとる at 00:09| 大野靖之