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2010年02月14日

大野靖之、「原点」から再び走り出せ!

 大野靖之の最新シングル「ヒリヒリ」のジャケットはあまり好きではない。彼の内面にある、しなやかさ、優しさ、人を包み込む温かさが出ていなくて、妙に「男くささ」が強調されているからだ。

 東京は赤坂 BLITZ。19時を10分ほどまわって、大野靖之がステージに登場してきた時、そのジャケットと同じにおいがして不安になった。とんがった顔付き、ツッパッた感じさえする所作(ピック?を荒々しく投げ捨てた)、厳しい雰囲気……。しかし、それが私の大きな誤解であることに気づくのに、時間はかからなかった。

 後のMCでそれははっきりと分かるのだけれど、大野靖之は、久々に「オーラ」を放つくらいに、自分の内なるスピリットのすべてを歌に託していた。ラブソング3曲から始まったライブは、渦に巻き込まれるように私たちを彼の世界へ取り込んで行った。


 大野靖之の魅力は、何と言っても声質だ。5年前私が初めて彼に「遭遇」した時に、一声で尾崎豊を連想したように、聴く者に温かい安らぎを与える。そして歌がうまい。発音も発声もきれいできっちりしているので、歌っている言葉がひとつひとつ日本語としてはっきりと分かる。新曲でも歌詞がしっかり聴き取れる。声量もじゅうぶんで、なおかつ巧みにコントロールされている。バックバンドに負けて歌詞がほとんどわからないアーティストも少なくない中で、傑出したシンガーだ。

 この夜は、そんな彼の強みに、さらに「たくましさ」が加わっていた。とにかく「強く」歌っているように聴こえた。言い替えれば、それぞれの曲ごとに、彼のソウルのありったけをつぎ込んでいる様が、ライブが進むほどはっきりと見えてきた。


 今まで何度も聴いている曲たちだが、今回が最高のパフォーマンスではないか、と思われる曲だらけだった。

 CDと異なり、ギターだけで弾き語った「陽だまり」は、その前に歌った「弱虫な時代」「仲間讃歌」とともに強烈なメッセージ性を感じると同時に、彼の穏やかで優しい心根がしっかり表現されていて、めまいがしそうなくらいだった。「過去」としてしばらく封印していた15分近くの大曲「22歳のひとり言」も、鬼気迫るものがあり、彼のヴォーカルもピアノも、うねり、怒り、叫び、泣きわめき、訴え、その激しさに久々に泣きそうになった。

 アンコール1曲目でも、これまたなぜかライブで長いこと歌われなかった「あいしてる」を、これ以上ないくらい切なく、しかし希望に満ちた声で、ものすごいパワーを秘めさせた「静けさ」で歌い切り、こちらの身体の中に、ものすごいエネルギーが湧いてきた。彼はMCで、学校ライブで子どもに「大野さんは何を歌いたいんですか」と尋ねられ、迷った末に「愛だ」と確信してそう答えた話をしていた。「愛」といっても、恋愛だけにとどまるものではなく、すべての人と人、あるいは人と生命体・自然、どんな関係にも生じる「あい」だと説明した。だから「あいしてる」なのだ。


 今回のライブは、彼のこれまでのライブベスト3に確実に入る。そのわけは、インディーズ時代から現在までに彼が歌ってきた代表曲がすべて網羅され、それぞれを最高のレベルで歌い届けたからだけではない。彼が語ったコンセプト「原点です」にある。彼は、過去も未来も不確定なものだから、切り捨てたりどうでもいいと思いがちだけれど、過去を大切にして「素敵な」ものだったととらえ返さないと、未来を「素敵な」ものとしてイメージできない、そのために今回のライブがある、と語った。

 この話を含め、彼のMCは、飛躍的に上手になった。あわてずにゆっくりと語れるようになり、すべらず、うわずらず、過剰にテンションを上げず、抑え気味にことばを選ぶように語りかけるから、伝わる伝わる。無理にジョークを言って「痛い」感じさえあった最近がうそのようだ。そう、無理にはっちゃけなくていいのだ。マジメに、ぼくとつに、実直に自分を語ればいいのだ。その意味でこの夜はMCが歌のようだった。

 「22歳のひとり言」の前のMCで、彼は「僕の家族、って言うと、親や兄弟ではなく、妻と子がいるのかと思われる歳になった」と語り、家族のさまざまなかたちをイメージしつつ聴いてくれ、と訴えた。いつもと同趣旨ではあるのだけれど、説得力はぐんとましていた。


 そんな中披露された新曲「こんな時代」も見事だった。「こんな時代だから」を「免罪符」や「言い訳」にしたくない、だから夢も希望もないとは思いたくない、と強く感じて作ったというMCのところから、もう曲は始まっていた。力を込めて鍵盤をたたきながら、こんな時代と言うけれど、君に出会えた、そのすばらしさを歌い上げた。

 ぶっちゃけ、この曲をシングルにして欲しかった。ホンネを書いちゃうぞ。


 これだけ絶賛したいライブの中で、新曲、ライブ中唯一の他人の曲(コモリタミノル〜SMAPの「SHAKE」「らいおんハート」など代表曲多数)「ヒリヒリ」だけが浮いていた。いや、正確には、私だけ(さらに正確には私の周辺の数人だけ)かもしれないが、そう思った。

 だって「ヒリヒリ」は、アンコール前の最後に歌われたのだけれど、ベース・ヴァイオリン・キーボード・パーカッション・ギターの5人のバックバンドは退いてしまい、ナマ音は大野靖之のピアノと声だけ、オーケストレーションはカラオケで歌われたのだから。

 彼は、その前のMCで、この曲のすばらしさを語っていた。自分の曲だと思い入れが強過ぎてしまうので、冷静にこの曲の良さをみんなに伝えて行ける……「ヒリヒリ」なんて歌詞は自分には思いつかない……この言葉をリップサービスだと思うのはうがった見方すぎるかもしれないけれど、彼の本心だとしても、彼の歌唱に込められたソウルは、ライブ全17曲の中で、ダントツで少なかったと確信する。

 もちろん、絶対彼は手を抜いて歌ったわけではない。全力で歌った。でも彼のソウルは「ヒリヒリ」に微妙な違和感を持っていたのではないか。彼はそれを隠し切れるほど、ピュアさを失っているわけではなかった。

 彼は「コモリタさんが、僕の歌や想いをしっかりつかまえて作ってくださった」といっていたけれど、私にはコモリタ氏が本当に大野靖之に最高の曲を与えて大ヒットさせてやろう、と考えたようには思えない。仕事を丁寧にやっただけではないのか。大野靖之は、自分で世界を作り、自分で自分をプロデュースできるほどのシンガーソングライターだから、つくる側もよほどのスピリットを込めないと、彼に似合う曲は作れないはずだ。この見解は大野靖之にさえ反論されそうだけれど、私はもっともっとヒット性のある曲をシングルにできたはずだと確信している。それに「ヒリヒリ」のメロディに革新性があまりに少ないのが寂しい。大野靖之の作る曲の方に革新性はある。


 ライティングが曲と大野さんの想いとに、見事にシンクロしていたすばらしい会場で、「原点」を確認した大野靖之。その「原点」を胸に突っ走って欲しい。

 妙に「みんなに受けること」を意識して、存在しない「一般の人」の想いを本で読んで「勉強」したりなんかしなくていい、リサーチなんかしなくていい。あなたが感じたままを、あなたが思ったままを歌にすればいいだけなんじゃないのかな。学校ライブそのものだって歌になる。「ラブソングを作れ」ばっかり言うスタッフの言うことなんか聞かなくていいんじゃないかな(この言葉をここに書くことの勇気と決断は私の中でクラクラするくらい重い)。

 だって「生意気なくらいがちょうどいい 頑固なくらいがちょうどいい わがままなくらいがちょうどいい 泣き虫なくらいがちょうどいい」(「あいしてる」の歌詞)わけだから。この歌を歌ってくれたこと、この歌詞に力を込めて歌ってくれたこと、その中で、私はあなたを信じます。
posted by さとる at 21:26| 大野靖之