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2009年06月28日

マイケル・ジャクソンを聴き続けた私が考えること

 マイケル・ジャクソンが急死した。何を語ればいいのだろう。とてもじゃないけど、そのニュースを聞いてすぐに文など浮かぶはずもなかった。


 1970年代、ジャクソン・ファイブとして兄弟とともにデビューした頃から大好きで、武道館のジャクソン・ファイブ公演に行ったことがあり、声変り中のマイケルはかわいかったけど、声が出なくて苦しそうだった……。

 1980年代、チャートに夢中の私は、アルバムから次々にシングル・カットされ、それがことごとく1位を取っていくマイケルに驚き、どこまで記録を伸ばすかに興味津々で、曲にも感動して口ずさんでいた……。

 1990年代、チャートアクションが悪くなり、スキャンダルまみれになる。何とかすんばらしい曲を出して、チャートの常連に返り咲いてほしかった……。


 たぶんそんなことを私は書きたいわけではないのだ。2日間考えた。


 マイケルの人生、50年は幸せだったのだろうか? そんなことばかりが頭に浮かぶことに気付いた。

 メディアはなぜ彼が急死したかを面白おかしく追求している。でもこんな結末は想像できなくもないほど、2000年代のマイケルはやつれていた。心労に負けそうに見えた。


 10代になる前から、父親にミュージシャンになるための英才教育、というかスパルタ特訓(ほとんど『巨人の星』のように)を受ける。テレビで音楽評論家の湯川れい子氏が、ジャクソン・ファイブとして来日した時の思い出として、父親がマイケルのあいさつの仕方まで厳しくチェックしていたと回想していた。

 マイケルにはたぶん、子ども時代と呼べるようなものはなかったにちがいない。無邪気に遊んだり、ひたすらのんびり時間を過ごしたり、いたずらをしたり……なんて「楽しい時代」を心ゆくまで味わったとは思えない。

 ずっと競争の激しいショウビジネス界でもまれ続け、その中で、(残念ながら持っていた)才能を発揮し、今までにない個性的な曲を書き、ダンスをするようになっていった。お金も入った。でも子ども時代は取り戻せない。


 だから、ネバーランドを作り、子どもたちを招待しては遊んでいたのではないか。

 この議論自体、私のオリジナルでも何でもなく、いろんな人が語っていることを私の言葉で述べただけだ。

 でも、似たような経験を持つ私にはとても説得力を感じてしまうのだ。


 生まれてすぐにいなかに引っ越して周りに同年齢の友だちがおらず、親を友だちとして育った。

 学校にどうしてもなじめずに不登校寸前だった私は、孤独だったことが多い。それに耐え切れず私は「先生」を友だちにすることで学校に居場所を確保することにした。要は「ガリ勉」になり、先生にゴマをすってテストでいい点を取るのだ。それは高校まで続いた。

 大学に入って私は、失ったものの大きさに気付いてぼう然とする。後に高校・予備校の非常勤講師になり、10代と遊んで、少しだけその失ったものを取り戻したけれど、わたしの中の満たされない部分はいつでもいろんな形で顔を出す。


 スーパースターになる、あるいはそんな才能を持っていることが幸せなんだろうか。ひとりでは外出できないことが、いつも「新しい、今までと違うもの」を求められてプレッシャーをかけられ続けることが、金で何でもまるごと買ってしまえることが、本当に幸せなんだろうか。

 きっとそんなことを考えたいんだ、私は。
posted by さとる at 20:12| 私を支える歌