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2009年06月06日

せわしい私をよそに、りりしく生きる母親

 いま、私は週に一度、母親の介護施設に通っている。その時間を確保するのはそんなに簡単なことではない。でも今年に入って欠かしたことはない。車で15分〜20分。施設は私が住んでいる市の郊外にある。


 もう、私の日常生活について話すことは難しい。私がどう暮らしているのか、母は思い出せない……というよりは記憶からほとんど消えている。私は最低でも、自分が彼女の息子である、ということだけは忘れないでほしくて、毎週通っている。

 それは、体調が悪かったり、時には良すぎて「過去の世界」に生きてきわめて饒舌に若かった頃の自分を語ったりしている時など、私を息子と認知できないことがあったりするからだ。私は、彼女の世界の中で、おじになったり恋人(?)になったり、いろんな役を演じさせられる。時には「あんた誰?」と来たりする……これは痛い。


 日常生活の報告はできなくても、母との交流はできる。その時見ているテレビについて、その時している塗り絵について、同じフロアにいる人やスタッフについて……。いまのこの一瞬の時間は確実に共有できる。

 「元気ですか」「ちゃんと眠れてますか」とか私が尋ねることも定番化しているけれど、コミュニケーションがとれるだけで、つながっていられるのは親子だからか。


 施設で他の入居者に話かけられることもある。「うちなんか全然会いに来やしない」と娘や息子のグチをこぼす人も多い。「おばあちゃん、幸せだね、いい息子さんがいて」なんて母に声をかける人もあるが、耳の遠い母は何となく微笑むだけ。

 大して「いい息子」ではない。ひとりで母の介護をしていた時は、イライラしてたくさんどなってしまったし、もう少しで暴力を振るってしまいそうになったこともあるし、どんどん日常生活ができなくなっていく母を前に泣き崩れたこともある。

 しかしそんな私を包み込むように、そんな昔を許してくれるように、母はそこにいて、私に笑いかけてくれる。母に認知症の症状が現れ始めてからまもなく10年になる。


 本当に苦労をしてきたんだなぁ、としみじみ振り返ったりしている時に、ヘルパーの何気ない言葉にキレそうになることがある。「もっと来てあげてくださいね」だ。

 今でも大変な苦労をして、母のもとへ行く時間を捻出していて、施設の中でも一二を争う回数訪問しているのに。なんでわざわざ言われなければいけないのだろう……と腹が立ってしまうのだ。ほとんど施設に入れっぱなしで来ていない親族に言えよ、と突っ込みたくなる。

 施設側も親族を来させようと、年末には「大掃除にきてください」、衣替えの季節には「衣服を取り換えに来てください」など工夫して施設に来させようとする。しかし、施設に来ていない人に電話や手紙を送るならいざしらず、一生懸命通って来ている人にしつこく言うのはいかがなものか。その人はよ〜くわかっているのだから。


 なんてことも、施設側に対して話してみるもので、私の気持ちをだいぶ感情を込めて伝えたところ、最近は言われなくなり、「来ていただいてありがとうございます」に変わった。私としては「ありがとう」も変で、「お疲れ様です」くらいの方がいいのだけれど、ま、いいでしょう。

 そんないろんな想いを勝手に抱える私をよそに、母は淡々と施設でその日、その時間、その一秒を生きている。その姿は、りりしい。



★こんな私の介護体験から始まって、介護のために私が財政的に大変な苦労をしてきたこと(今も)、そしてゲイ/レズビアンが抱える介護や老後や貧困の問題……そんな話を自称「通俗ライター」・竜超(りゅう・すすむ)さんと語り合うトークライブ「G×G放談」をやります。6月14日・日曜午後1時30分から、東京都は中野区の公共施設にて。竜超さんは、先ごろ『消える「新宿二丁目」』(彩流社)を上梓して、 活躍しているライターさんです。ぜひ来てください! 詳しくは「こちら」から。私と竜さんからのメッセージもあります。




posted by さとる at 17:58| 日記