異性愛者であるショーン・ペンは、誇張も矮小もなく、自然体で同性を愛する人間を表現していた(私は試写会で見た)。
まだ同性愛を嫌悪し、公然と敵対している人たちも少なくない米国社会で、見事に同性愛者を演じきり、アカデミー賞の受賞スピーチで同性愛者の結婚に反対している人は恥を感じるべきで、全ての人たちに平等の権利があるべきだ、と語ったことに素直に驚き感動する。
俳優としてゲイを演じる決断をし、徹底的に同性を愛する人の気持ちを理解しようとし、その気持ちを演じきったことは素晴しいというしかない。それがアカデミー賞に結実し、拍手を受けることに、時代の変化をも感じる。
ペンが演じたハーヴィー・ミルクは実在の人物で、まさにその「時代の変化」をもたらす運動を始めた人物のひとりだ。
バーで集っているだけで逮捕され、翌日には職を追われるほどの弾圧を受けていた米国の同性愛者たち。その中で息をひそめていたミルクは、自分のパートナーと安全で穏やかな生活をしたいがために、ゲイに公民権を保障する活動を始める。ミルクはサンフランシスコのカストロストリートのカメラ屋さんとして地域のまとめ役になり、何度も敗れたのち、1977年、同市の市政執行委員(※)に当選する。
※
映画はそのプロセスを、ほぼ事実にそって再現していく。それはストーリーだけではない。今ミルクがやっていたカメラ屋さんはもうないので、そこに住んでいる人に頼んで、撮影のために数ヶ月間商売を休んでもらい、カメラ屋を当時のように再現するほど徹底している。通りの映画館も当時のように改装し、撮影後もそのままにしてあるという。
そしてサンフランシスコ市も、カストロストリートの住民も、この映画制作に全面協力した。市役所のシーンは本当に市役所で撮っているし、誰もがミルクの映画を待ち望んでいた。それだけでも、この映画への期待となかみが充実していることが想像できよう。
さらにこの映画では、ハーヴィー・ミルクを、ヒーローとして祭り上げるのではなく、等身大の人間として描いて見せてくれる。不器用だったミルクが、政治をやらないと同性愛者が生きていけないと、切実な想いで活動を始めていく過程、さらに活動が恋人との関係を維持することとなかなか両立せずに悩んでいたことも出てくる(ここは本当に哀しくせつない)。
暗殺予告などの脅迫を絶えずされていた中で、常に厳しい精神状態に置かれていたことも、引きずり過ぎないように、まただからこそ心に刻まれるように、早い場面転換で淡々と、撮られている。
自分を護り、恋人を護り、仲間を護るために、どう生きていくのか……私たちに自分の生き方を考えることを静かに迫ってくる。また、絶えず未来を見ていて、希望を持ち続けることの大事さを訴え続けた彼のメッセージも、リアルな映像を混ぜた斬新な映像と、優れた脚本が活写して行く。そして、ミルクがやったことは、私たちには真似のできないことではなく、手の届くところにあるのだ、と実感させてくれる。
注目してほしい最も大切なことは、彼の目線が、同性愛者だけに向いていたわけではなかったことだ。政治家としての行動力も超一流で、職を失った労働者や、差別されていた中国系・ラテン系の人たちや、先見的に高齢者などに対しても、次々と施策を打ち出し支持を得て行った。
政治家はどうあるべきか、という視点でもこの映画を見てほしい。日本のこのところの首相や大臣たちが暴走・迷走している姿を見ていると、ハーヴィー・ミルクを見習え、と言いたくなる。
サンフランシスコのあらゆる層の人たちと対話し、市が抱えている問題には自分から足を運んで、自分の目で確かめて、有効な方策を提案する。ハーヴィー・ミルクの目線はどんな人にも温かかった。そんな当たり前のことができないでいるのが、現代の政治家たちなのだ。
「愛」をベースにして「希望」を訴え続けた政治家の想いと優しさは、理不尽な恨みから同僚の市政執行委員に暗殺されて断たれるのだが、それは確実に現代に届く。
私たちは、いま何に対して闘えばいいのか、何に怒ればいいのか、どんな行動が必要なのか、『ミルク』はそのヒントをじゅうにぶんに与えてくれる。「Yes, we can!」……すでに1970年代にミルクはそう言っていたのだ。
『ミルク』公式サイト→「こちら」から