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2009年04月09日

剛紫「空〜美しい我の空」の虚空

 2006年に堂本剛が ENDLICHERI ☆ ENDLICHERI というプロジェクトで「ソメイヨシノ」を発表した時、私は当時やっていたブログで、「謎」というタイトルでその曲の深さを測りかねていたことを書いた。今回もその時に近い感情をいだく。


 新たに「剛紫」名義で発表されたシングル「空」を聴いた感想をどう書いていいか、再びとまどう私がいる。

 東儀秀樹さん(雅楽を現代的な感覚で演奏するミュージシャン)の笙と篳篥(ひちりき)がフィーチャーされ、何度も聴いていると、飛鳥時代から奈良時代へタイムスリップしていくような錯覚にとらわれる。

 東儀家は、実際にその頃から雅楽を世襲で伝えてきた家系だ。歌詞でも、「あなたを愛しているを」と書いて「愛しているわ」と歌っているのは、当時の日本語の発音とかを意識しているのだろうか。


 さらにテーマの中心に今回も「桜」がある。「桜の音楽」という歌詞は「桜のみず」と聞こえる。「桜がさわぐ」「桜がさそう」とサビのところで立て続けに「桜」と一体化していく。

 生きていく中で、「云えない 癒えない 消せない」ものがたくさん出てくる。しかしそれをありのままに受け入れ、孤高の美しさを希求し(「美 我 空」という歌詞は「びがく」と歌う、やはり「美学」=ポリシーなのか)、桜の「みず」の中に「愛」は溶けていく……。

 私のつたない解釈は、そんな感じになる。かなり外れている気もするけれど、「ソメイヨシノ」から始まった彼の音楽の到達点と考えると、そんな「美学」を背景に持つと考えてもおかしくはないような気がする。


 聞き流すと線の細そうなヴォーカルだけれど、じっと眼をつぶって堂本剛の声を聴いていると、ひとつひとつの言葉を、今までに増して大事に優しくくっきりと歌っているので、想像力がものすごくかき立てられる。

 しかし、この曲をカラオケで歌うのは自分には無理だなぁ。微妙な音階の変化を歌いこなし、ゆっくりな中に力強く進むリズムを再現するのは至難の技だから……。ポップの域を超えて、芸術的「楽曲」になっている。

 だから、堂本剛のヴォーカルと虚空の向こうの古代日本にひたって心地よさをむさぼることにしよう。


 それにしても、どうして彼は奈良に桜にこだわり続けるのだろう。生地であるというだけではここまで表現の中心に置かないだろう。今回はツアーも奈良からだ。来年が平城京=奈良が都になって1300年だから? 堂本剛がそんなことに身を委ねるはずはない。

 アルバムをじっくり聴いてみるしかないかな。