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2009年03月12日

「ヴォイス」と父、そして母

 昨日の続きっぽくなるけれど、実は、私の父親は、法医学をやっていた(歯学部)。働くのが嫌いで、酒が好きで、大学に残っているうちに、法医学に目覚め、博士号を取る寸前まで行ったところで、戦争になり、兵隊にとられるのが嫌で、軍の歯科医となり、終戦を迎える。


 戦争で何もかも空しくなった父は、研究をやめ、できちゃった婚(つまり私が!)で私の母と結婚する。ふたりとも再婚かつ晩婚だった(母のみ娘あり、私の何と18歳上!)。その後も父は波乱万丈の生涯を送る。そのため私は小学校を4回転校するはめになるが、上司とケンカして自分の意見を貫いて辞めたのだ、と後に知って転校の恨みはだいぶ消えた。

 その父も早く亡くなって、もう20年以上経つ。病気が治ったあと、ある朝突然、静かに逝った。ここで父のやっていた法医学に委ねていたら、テレビの「ヴォイス」(昨日の記事参照)のように、私は父の声を聴くことができたのだろうか。私の人生を半分しか見られなかった父は、私に何を伝えたかったのだろう。私も何を伝えておけばよかったのだろう。


 そして母親は長生きである(90代!)。何しろ健康なのだ。ほとんど病気らしい病気をしたことがない。数年前に気管支炎になったくらいだ。認知症がなければ、自在に「生」を楽しんでいる……いやそれはわからない。認知症でも、今その瞬間を楽しく生活しているかもしれない。

 母親の介護を始めてから(家事だけではなく母親の生活全般の面倒を見るようになってから)もうなんと12年になった。ずっと母親はどんな気持ちで生きているんだろうな、と考えてきた。勝手につらいだろう、苦しいだろうと決めつけてきた。しかしある時期から、短期記憶はなくなっても、私と話している数秒間はリアルに私と向き合って話しているんだとわかってから、見方が変わり、「今を生きる」という言葉の意味が少しわかったような気がした。


 しかし、昨年末は再び動揺した。施設(特別養護老人ホーム)にいる母親の感情の起伏が激しくなり、テンションが高いと、自分の若い頃(青年期から離婚するくらいまで)の話を雄弁に大声で(ここは私に遺伝している)語りまくるのだ。それもいろいろごっちゃになるから聴いてて大変なのに、ヘルパーも同じフロアに入居している人もよく聴いてくれていた。

 ただ困ったことにそういう興奮状態にあると、私のことも自分の世界に引きずり込んでしまい、夫や恋人やおじさんにされてしまうのだ。いくら「息子のさとるです」と言っても、母が語るストーリーの主人公にされてしまう。さすがにちょっとイラッとして、声高に「だ・か・ら、あなたの子どものさ・と・るです」と叫んでしまった(母は耳だけは遠い)。

 そんなことが2回続いたのでさすがに落ち込んだ。自分が息子だと思ってくれるのが最後の砦だ、と勝手に決め込んでいたから、あぁもうダメだ、とまたまた勝手に決め込んだ。


 テンションの高い後には低い波が来る。年が明けると、机に突っ伏していたり、「死にたい」なんて言い出したりすることもあった。しかし私のことは息子だとわかった。

 そして今は、だいぶ落ち着いている。にこにこ顔が戻った。年末年始、母は何を想い感情をアップ&ダウンさせていたのだろうか。私は一喜一憂しすぎたみたいだった。まだまだ私は生きている母親の「ヴォイス」も聴けていない。私が息子だとわからなくなっても、母親が穏やかな顔で生活しているのだったら、それでいいのかもしれない。

 一時は、母親の介護のために私がしてきた努力(費用を稼ぐためにここ数年働き詰め!)を母に伝えたくても伝わらないことがくやしかったし、寂しかった。母に「頑張ったね」と言ってほしかった。でも、一方的な要求ばかり母にしている状態からはだいぶ脱してきた。


 「ヴォイス」を見て私は、私の話を無理やり聞かせるのよりも、母親の「ヴォイス」をできる限り聴いていこう、と心に決めた。まだ聴くための修業は全然足りないけれどね。

posted by さとる at 23:24| 日記