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2008年09月05日

「生きづらい」という言葉にじわりじわりと実感がこもるようになってきた[前編]

 「生きづらい」という言葉にじわりじわりと実感がこもるようになってきた。


 このまま老後まで、自分に仕事があり続けるだろうか? 周りで景気のいい話は全く聞かない。本は売れない、イベントを企画しても資金が集まらず予算も付かない、給料が上がるどころか経営が危ない……そんな話ばかりだ。

 「貧困」という言葉が復活している。現実的に「仕事」がないか、あっても「派遣」では、職場では労働条件も悪く人間扱いされず、「部品」として簡単にクビになる。ガソリンを筆頭に物価は上がり続けている。稼いでも追いつかない。[雨宮処凛&萱野稔人『「生きづらさ」について』光文社新書参照。必読!]

 私も、今はまだいろいろな形で仕事を確保しているが、年齢が上がれば上がるほど、その「年の功」を活かす仕事場があっていいと思うのだけれど、実際は逆で仕事を確保するのがどんどん困難になって行きそうだ。


 「企業」などの組織に属していない私としては、病気になったら「おしまい」だと考えて、最近はものすごく健康に気を使っている。家へ帰ってきたら必ず「うがい」をし、食事をちゃんと取り(この部分ではパートナーに感謝)、睡眠も最低限を切らないようにする。

 おかげで2008年にはいって1度も風邪を引いていない。私としては、何十年ぶりのことだ。それでも、事故にあうかもしれないし、自分が働けなくなった時のことを考えて、絶えず不安になる。


 働けなくなったらどうなるか。退職金などない。年金をもらえる年齢になっていたとしても、食べて行けない金額しかもらえない。マジで「恐怖」である。病気を治すために必要なお金をひねり出せるだろうか(保険だけでは満足な治療は受けられない)。貯金をしておくこと以外に対策が見つからない。

 それほど今、福祉は後退している。生活保護は、厚生労働省のお達しで、できるだけ申請させないようになっている。病気にかかった時に頼りになるのは民間の保険の、それも信頼できる一部だけだ。

 そして全ては「自己責任」だという考え方が社会の主流にどっかと腰をすえているので、ヘルプを求める声も、「オマエが悪い」とかき消されてしまう。「遠くの親戚より近くの他人」だった共同体は、完全に政策的な流れの中で消えかかっている。

 ふぅー。

posted by さとる at 23:13| 理不尽なこと