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2008年06月02日

話法の転換より教育の転換を

 昨日今日と高校生と話す機会があったのだけれど、ちょうど今は定期テストの時期。科目数が多くてみんなふうふう言っている。確かに自分の高校時代を振り返っても、よくあれだけ文句を言わずに(いや言いつつ)たくさんの試験科目の準備をしていたものだと思う。


 とりわけ英語は大変そうで、ひとりの高校生の試験範囲に「話法」というのがあった。間接話法と直接話法をお互いに書き換えるというもので、この言葉が記憶に残っている(それもあまりいい記憶としてではなく)人もいるだろう。

 He said, “I am very tired.”(彼は「私はとても疲れている」と言った)と He said that he was tired.(彼は自分が疲れているといった)を書き換えるのだけれど、日本語にしても大差ない。要は “” を使うか使わないか、日本語で言えば「」を使うか使わないかだけの話である。

 ところがこのテーマが試験範囲の高校生は、“” の中がいろいろな種類の文に変わり、時制(過去か現在か未来か)も様々に変わる文を、た〜くさん変換練習しなければならない。実際、試験にもどか〜んと出るらしい。


 でも、実際に英文を読む時、この違いを意識しないでも自然に、“” はナマの台詞(言葉)だとわかるし、He said that he was tired. と書かれてあっても、この「彼」が自分が疲れてる、って言ったんだな、なんてすぐわかる。文法の中でもそんなに大事なところではない(he was tired とあっても訳す時に「疲れている」と過去に訳さない日本語と英語の違いを知ることだけが重要だ)。

 実用的に言えば、書き換えることが必要な場面などほとんどない。英語で表現しようとする時も、気分で好きな方を選べるし、執拗に難しい書き換えをやらなくても、“” を使ってナマの言葉を伝えればすんでしまうし、ネイティブも実際そうしている。


 ならば大学受験に必要で、入試に出るから勉強させているのではないか、と思う人があるかもしれない。

 ところがそんなこともない。特に最近は、国公立私立を問わず、話法の問題などまったくでない、と言っても過言ではない。入試問題の問題点はまだまだあるけれども、最近は大学の入試問題作成者も世間の批判を受けて、だいぶを改良しつつある中で、話法には重要性はまるで置かれていない。

 つまり、高校で話法の転換をつめ込むのは、英語を身に付ける上でも、入試対策の上でも、壮大なエネルギーの無駄遣いをしているのだ。


 同じようなことは他にいくらでもある。英語以外でもたくさんある。もっとも遅れているのが、中学と高校の教育現場なのだ。話法の転換より、学校教育の姿勢そのものを転換してほしい。

posted by さとる at 21:31| 理不尽なこと