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2008年05月28日

立派できれいすぎる大学

 大学がどんどんきれいになる。建物も、キャンパスも、食堂などの施設も。私が週1回非常勤で授業に行っている法政大学も例外ではない。

 東京都千代田区にある法政大学・市ケ谷キャンパスは、ここ数年で2つ校舎が新築され、正門と校舎の間に広がる空間も公園のように整備された。だがどうも居心地は良くない。


 新校舎は立派でエスカレーターや広いラウンジまであるが、洗練されすぎたデザインは、企業のビルに迷い込んだ感じがし、若者が集まる時に生まれるはずの活発な「気」がない。外の空間も、そこでのんびりと思索にふけったり、わいわい騒いだりできる「気楽さ」がない。

 つまり、新しくできたところは、触れにくく汚しにくく使いづらくて、学生たちのテンションを確実に下げているように見える。きれいすぎると、それを維持した方がいいのではという心理が「何となく」はたらいて、気持ちが縮こまりおとなしくなってしまう。

 それに対して、築50年を超える旧校舎の方は、落書きもあるし、ポスターはべたべた貼ってあるし、どこでも学生がおしゃべりしたり食事したりしていて華やいでいる。


 大学というところは、人を仕切って無理に何かを教え込むところではない。自分の力で、授業のみならず、遊びや学外でのさまざまな体験や仲間から「勉強」し、人間としての幅や視野を広げるところだと思っている。

 教えないと何もできないから、と言うなら管理するより、敢えて放って置くくらいのことが人間にはある時期必要だ。自分で自分の生き方をつかもうとした時にフォローできる体制さえあればいい。そんな中から新しい発想が生まれてくる。

 「整然」より「雑然」の方が、多様なものに接することになって、人間の頭脳をかえって刺激し、いろいろ考えざるを得なくさせるものだ。


 実は立派な新校舎などを建てるのには裏がある。少子化の中で生き残るために、見栄えをよくしているのだ。これは大学に限らない。

 さらに法政大学の場合、学生運動家や政治的なサークルを追い出してイメージを変える(理事会としては「良くする」)ために、新校舎建設にことよせて学生会館を実質的につぶしたりしている。新校舎にセブンイレブンが入ったのは(これも見苦しい)うるさい生協の力を弱めるためだという噂もある。旧校舎の内部も、汚いし使い方のマナーもイマイチだけれどもいつも学生が楽しげに話していたホールを改修して、こぎれいにしてしまっていたりする。

 こうなると方向性は明確だ。大学は、こうして個性的な人間を締め出し、けっきょく自分の首を絞めることになるのではないか。学生を管理して就職を良くするだけが少子化生き残りの道だとはとうてい思えない。


posted by さとる at 23:13| 理不尽なこと