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2008年05月20日

平川地一丁目フォーエバー

 人の生き方について、横からとやかく口をはさめるものではない、とよ〜〜〜くわかってはいても、どうにかならないものかと思ってしまうくらいショックだ。

 平川地一丁目、8月ツアーを最後に解散、起き抜けの寝ぼけた眼に、パソコンからびっくり仰天する言葉が飛び込んで来た。「マジかよ……」とつぶやきそうになった。心が大きく揺れた。公式サイトへ行ってみる。事実だった。


 確かに、兄・龍之介と弟・直次郎の微妙な温度差は、私が行ったライブでも感じられた。

 お互いに意地を張り合っている場面もあった。「兄弟なんだから」何とかそれを乗り越えてくれるだろうという想いと、「兄弟だからこそ」音楽への指向性が違うと苦しいかもしれないという不安とが、私の中で錯綜した。

 それにしても、さびしいったらさびしい。くやしいったらくやしい。


 私の音楽の心を育んでくれたのが、60〜70年代の日本のフォークと、70年代のとびっきりネアカな元気のでる洋楽のヒット曲たちだったから、その前者を21世紀の若者として歌いこなし、自分たちのレパートリーにできる平川地一丁目の存在は、私にとって「魅力」意外の何者でもなかった。

 そして、その60〜70年代の日本のフォークの歌心をベースにしたオリジナルの曲たちのすばらしさ。率直で、まっすぐで、でもふたりの「現在」があふれている。こんな曲が書けるデュオは他には見当たらない。

 平川地一丁目の人気について語る時にいつも、直次郎の声変りのことが言われるのがずっと腹が立ってしょうがなかった。みんな何を聴いているんだ。声質が変わっても、彼が声に乗せて伝えようとしていたものは決して変わっていなかったどころか進化をとげていた。そして声変り後だって、表現力豊かな、多くの人を魅了して心地よくしてくれる声で歌っていたではないか。


 龍之介は東京に住み「自分の力で音楽と向き合った人生の方向」を考えており、直次郎は佐渡に住み大学進学を考えているという。兄が弟を誘って始まったデュオだから、ふたりの指向性は当初から違っていたのだろうか。だとしても、惜しい。

 どうしてこれだけ残念さ・無念さを感じるのだろう。

 答えは容易だ。ふたりとふたりの音楽が持っているような、佐渡の「気」ときっと共通するのであろう、温かさ・優しさ。少し粗削りでも、等身大の自分たちの想いを表現して歌にするちから。どちらも今の J-POP に大きく欠けているものだから。そしてずっと成長し続けていたから。


 もうないものねだりはやめて、ふたりを祝福してあげなければ。そして今まで、私の心を穏やかにしてくれて、前に向かっていくエネルギーあふれる「気」を分けてくれ続たことに、心から「ありがとう」と言わなければ。その「気」がふたりの新しい人生でも活かされてほしい。

 平川地一丁目の残してくれた曲たちは宝物だ。大事にしなくっちゃ。もう一度、平川地一丁目、龍之介、直次郎、本当にありがとう!

posted by さとる at 09:55| 平川地一丁目