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2008年05月08日

その瞬間瞬間を生きる母親に学ぶ

 母親が、特別養護老人ホームに入居して1週間が経った。前半は毎日様子を見に行き、昨日(7日)も母親を訪ねた。

 幸いなことに、母親にとっていちばんのハードルだと思えた夜も無事に過ごせたようで、かなりホッとした。


 夜がハードルだ、という意味は、母親は、眠りにつこうとする時、いろいろなことが思い出されるのか、あるいは急に寂しさが襲ってくるのか、本当のところはわからないのだけれども、精神的に不安定になるからだ。

 「帰りたい」とくり返したり、若い頃親しかった親族や自分の親の名前を呼んだり、寝つけなくなってヘルパーさんに面倒をかける。

 それが今回は、2日目の夜だけでクリアできた(初日は引っ越しの疲れで眠れたのだろう)。その後は、好きなテレビを見てから、穏やかに眠っているとのこと。生活上でも問題はなく、どうやら新しい居場所に慣れてくれたようだ。


 実際、私が行くと、定番のあいさつ「よくここがわかったねぇ」が出るし、隣の入居者に「これ、うちの息子」と紹介もしてくれる(これは半永久的に続く)。

 母親のすごいところは、ちゃんと自己主張をすることだ。本当にしゃべらず、じっと耐えているかに思える入居者が多い中で、母親はよくしゃべるし、ヘルパーさんに対しても「こわい」(トイレに立つ時や車イスに乗る時)「痛い」「いやだ」「あーよかった」「うれしいねぇ」など感情を的確に短く伝える。

 これはこちらの勉強にさえなる。たぶん、いろいろ言ってくれる入居者の方が、ちょっとうるさいな、と思っても、ヘルパーさんも逆にやりやすいのではないか。


 でも昨日訪ねた時、ちょっと動揺した。母親と私には、かつて入院した時に、看護師から(看護師の労働が過酷でそうせざるを得ないのはわかるのだけれど)トイレ関連のことで手荒い扱いを受けた時のトラウマがある。

 母親が「助けて」「やめて」と叫んでも、全くなだめてくれず、看護師は淡々と「作業」を続けた。ひとことでも「大丈夫」といってくれれば、母親もずいぶん安心できただろうに。その母親の切ない声は今も耳にこびりついている。


 母親は、その時とは全く比べ物にならないくらい優しく丁寧に、かすり傷の手当てを受けていた。しかし母親は、その時を思い出してか、別の何かを感じてか、やや大げさに「助けて」「やめて」と言う。ヘルパーさんは、その母親のことばを無視した。

 私は急に病院でのことが頭によぎり、ドキドキしてしまった。ヘルパーさんに、こういう時には必ず「大丈夫」と言ってほしい、と伝えるのがうまくできなかった。怒ってヘルパーさんに嫌われたら、母親がひどい目にあうのではないか……とマイナス指向になった。

 実際はそんな「仕返し」はものすごく減ってきている。でもヘルパーさんたちとの信頼関係を創るにはまだ時間がかかる。私は、感情を込めすぎているのに卑屈さも混じる言い方でヘルパーさん2人に希望を伝えた。


 話は伝わったけれど、ちょっと後味が悪かった。今度はもっとすっきりと「こうしてほしい」と自信を持ってヘルパーさんに伝えよう。

 特別養護老人ホームに母親がはいれて、負担が半額になっても、借金はあるし、まだまだ私の「働き詰め状態」は続く。私と母親が今の施設になじむためにまだエネルギーをかける必要もある。

 そんな中、切り替えの早い母親の姿に学びたい。「大丈夫」と言ってほしいことをうまく伝えられず、落ち込んでいる私をよそに、「助けて」「やめて」と言った母親はけろっとしていた。


 本当の内面はもちろん分からない。ただ、母親は、ちょっとイヤなことがあっても、数分後には、忘れられるからか、違う次元に生きているからか、気持ちを明らかに変えることができている。

 つまり一瞬一瞬を生きているように見える。学びたい。

posted by さとる at 00:00| 日記