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2008年03月27日

大野靖之「僕が今 できること」の感動[後編]

 大野靖之さんのメジャー初アルバム「僕が今 出来ること」を手に入れて一夜明けて、少しだけ冷静になってみる。ちょっとすごいことを発見した。

 当たり前のことだけれど、大野靖之さんはまだまだ発展途上にある、ということだ。これは「未熟」という意味ではなく、歌唱法、作曲法、プロデュース法……どれをとっても、さらなる発展の可能性を感じる、ということだ。


 それがいちばん現れているのが歌い方だと思う。大野さんは歌う時「闘志」をより深い内面に秘めるようになった。「穏やか」な歌唱になったように聞こえる。

 大野さんは、自分の想いを全力で曲にぶつけ、自分のギリギリの限界まで歌にエネルギーを注ぎ込んでいた。ライブではとりわけそうだった。ところが、この1年、そうした「絶唱」を組み込んだ感情表現を抑え気味にして歌っている気がしてならない。

 息のつぎ方や転調なども、無理をしていないように聞こえる。心のおもむくまま、声の出るままに歌っているようにさえ聞こえもする。


 大野さんは何かをいい意味で封印したのかもしれない。そして自分の鮮烈な思いや叫びをなだめ、コントロールして、身体全体に蓄え、表向きには「穏やかに」歌う。そして「だからこそ」届く歌唱へと発展しようとしているのではないだろうか。

 インディーズアルバム「命唄」に収録された曲たち〜「天使の舞い降りた朝」「うさぎ」「弱虫な時代」を聴き比べるとその違いははっきりとする。ズバリ言ってしまうと、これは尾崎豊が超えようとして超えられなかった、武器を若さから想念に持ち変えるためのトライなのではないだろうか。

 だとしたら、この先の大野さんの活動がはなはだしく楽しみになってくる。


 その証明にもなるキーソングが「歌になるかな」だ。ここで大野さんは「どんな些細なことでも『感動』する心があれば、歌は日常の中でいくつでも見つかる」とコメントしている。

 大野さんは、このメジャーアルバムを出すまでの3年近く、自分の作りたい音楽とプロとしてある程度「ヒット」させなければならない音楽との「折りあい」に悩んできた。これはほとんどのミュージシャンがぶつかる壁で、そこで迎合的になって魂を失っていく者も少なくない(今大ヒットを出していても)。私は、そのことに対する大野さんなりの答が「歌になるかな」だと信じる。

 この答を、ライブハウスで音楽と格闘している、大野さんに続く若きミュージシャンたちがしっかりと受け止められたら、日本いや世界の音楽の未来は明るいものになるはずだ。


 そしてもうひとつ、このアルバムにあふれる「ポップ」感が、本当に心地よく、心はずむものであることがとってもうれしい。今だから書いてしまうのだけれど、「折りあい」模索の時代、メロディも狙いすぎてかえってわかりにくくなって、音と楽しく遊んでいないな、と思うことがあった。

 「歌になるかな」をはじめ、「愛の唄」「心の扉」「ともだち」といったより新しい作品たちの歌詞も、軽快なあるいは荘重なあるいは清新なメロディに乗って、活き活きと自由に動き回っている。


 大野さんの MC や発言を聴いていても(あるいはブログを読んでいても)、大きく大胆な夢を語っていてしかも謙虚さがにじみ出ていて、いつも見習いたいと思わずにはいられない。私など、いつもどちらかが足りないか過剰になる。

 いっしょに歩いていきたくなる人なんて、そうはいないものだ。でも大野さんとはいっしょに歩いていきたくなる。


 「夢」「希望」「生命」「きずな」「家族」「平和」「個性」……大野さんの歌にちりばめられたメッセージは、リアルで、半永久的に色あせることはなさそうで、学校ライブという現実を通して鍛えられて、地に足がついていて、私たちの胸に確実に届く。すでに「道徳講師」という呼び名では表せつくせない地平に立っている。

 アルバムを何度聴いても、毎回違うところで感情がたかぶってくる。涙……というか自分の「素」の感情や、自分らしい「気」が胸にこみ上げてくる。とりわけ「22歳のひとり言」「ともだち」と続く9・10曲目は、心に穏やかな「闘志」がみなぎってくる。

 「君だけが寂しいわけじゃない だから君の心になって考えてみるんだ」。この歌詞に出会って、この曲を歌えるだけでもうれしい。素敵なアルバムを、ありがとう、大野さん。

posted by さとる at 00:00| 大野靖之